精神科の流行(2017年12月31日)

  精神科は「流行」が多い領域である。診断で言えば、発達障害自閉スペクトラム症ADHD)と双極性障害が大流行である。環境にうまく適応できなければ、背景に発達障害があるのではないかとの見方がされる。診断がつけば、「やっぱりそうか」あるいは「発達障害だからどうしようもない」との結果になる。しかし、大切なのは、どのように支援をするか環境調整をするかである。最近、私はリワーク(休職者の復職支援)に関係する患者さんの初診対応をすることが多いが、市や県の職員に休職を繰り返す人がなんと多いことか。そのほとんどが配置転換をきっかけとしている。教育関係者が水道局や税務関係に移動になったりすると戸惑うのは当然である。全く慣れない部署への移動に適応できない人達が出てくる。なぜ、その人その人の特性を知り、その人に合った移動を考えないのか。一人の労働者が能力を最大限に発揮できるやり方を浸透させるべきである。できないことを求めるのは「いじめ」でしかない。これだけ多くの休職者を出す無駄なシステムをなんとかすべきである。私は成果だけの評価には反対の立場をとっている。できる人はできることをすれば良い。すばらしい実績をあげたとしても、それはその人の能力であるから当然であり賞賛すべきではない。できない人はできないなりのことをしていれば良い。できる人はできない人に同様のことを求めてはならない。不公平さを訴えてはならない。「実績/能力」を評価すべきである。

  次に双極性障害。最近、双極性障害がやや過剰に診断されている印象である。うつ病躁うつ病は治療法が異なるから診断に留意すべきであることは当然である。過去の躁病相の有無を丹念に問うことは必要であるが、「正常」と「ごく軽躁」を区別するのは困難なことが多い。双極性障害の可能性も考慮しながら、現時点ではうつ病としての治療を行う考え方も必要であろう。双極性障害抗うつ薬は禁忌ではなく、気分安定薬との併用でうまくいくこともある。うつ病双極性障害と過剰に診断し過ぎて良くならない場合もあり得ると思う。
  最近の流行。それは抗不安薬やベンゾ系の睡眠薬を絶対悪とする考え方。我々精神科医は特に、ハルシオンデパスマイスリーを嫌っている。もちろん、依存の問題は真剣に取り組まないといけない。確かに必要以上に多くの量を長期間にわたり投与するのは問題が多い。しかし、たとえばメイラックス1mgなどの抗不安薬を加えることで、神経症的な症状が劇的に改善する場合もある。適切な量を適切に使えば有益であるということだ。
  抗精神病薬の多剤大量療法の問題。多剤大量療法が厳しく批判されるようになって久しい。そもそも多剤大量の状況をまず作らないことが大切である。5剤の抗精神病薬が処方された他院から来られた患者さんを1年以上かけてロナセン8mg1錠に置換したことがある。その後、もう2年近く経過していると思うが、安定度の高い寛解状態にあり、リカバリーを達成している。一方で、CP換算1600mgを減らそうとして、悪化したまま元に戻らなくなった人達もいる。CP換算高値を批判的に扱うからこうなるのである。もともと高用量の人は相当時間をかけて減薬しないと失敗する。先日、ホーリットという薬が処方されているのは入院外来含めて一人しかいないとの話を聞いた。私の患者さんである。彼は30年前に引き継いだ際、極度の無為自閉で、いつも同じ方向ばかり向いて臥床しているため、顔の半分が日焼けしていた。それがホーリットにより蘇り、笑うようになり、退院でき、残念ながら社会参加はできないままだが現在一人暮らしである。こういった人の処方は変えたくない。実は私の外来患者さんの中にはずっと古い定型抗精神病薬を処方し続けている人達が一定数いる。新しい薬剤に変更するメリットもあるのかもしれないが、不安定にするリスクもそれ以上に予測されるからである。より良い状態にするための一時的なことならいいが、不可逆的な悪化を招く場合もある。今後、一律に単剤化や併用薬中止の方向へと圧力をかけられた場合は何らかの行動をとらざるを得ないかもしれない。
  持効性注射剤も大流行である。これもあくまで治療上の一つの選択肢であり、なるべく早期に導入しようとする動きには賛成しかねる。必ず、SDMに基づいて検討されるべきである。
  精神科には流行が多い。いったん流れができると、皆、そちらへ急ごうとするし、その流れに乗るような圧力を感じる。しかし、治療は個々の症例の状況を多方面から検討してその症例に最も適切な対応がされるべきであり、決定権は患者さんとその主治医にあるのは言うまでもない。
  最後にもう一つ。現時点ではどう考えても絶対退院不能の人達が残念ながら存在する。最善の方法を見つけるべく努力を続けることは当然であるが、今はどうにもならないものを何とかしろと圧力をかけるのも止めて欲しい。
  しかし、こんなことを書くようになったのはジジィになった証拠である。そう言えば、「いつまでここに勤めるのか」と質問されることも今年は非常に多かった。来年は少しは自分の健康に留意したい。